中里税務会計事務所









 私たちはもう、おとぎ話の終りが『めでたし、めでたし』ではないことを知っている。
 イギリスのダイアナ妃もそうだったが、ハリウッド女優からモナコ王妃になったグレース・ケリーの結婚生活も幸せだったとは言いがたい。1982年、グレース・ケリーが自動車事故で亡くなった際、自殺説がささやかれた。動機はいくらでも考えられた。夫の浮気、次々とスキャンダルを起こす子供たち、アメリカ人の元女優を王妃として認めない使用人たち・・・・
 死後、さんざん彼女自身のスキャンダルも暴露された。いわく『クール・ビューティー』と称えられた外見に反してホットで、すぐ男性と関係をもつ女だったそうだ。結婚後、不倫していたのは夫のレニエ公だけでなく、グレースもだ。二人は実質的に別居していた、などなど・・・・
 それでもなせだろう・・・?グレース・ケリーの名は地に落ちない。そして彼女の名を冠した『ケリー・バッグ』は今でも世界中の女性の憧れの的だ。日本でも70〜80万円台のケリー・バッグが飛ぶように売れている。かつてエルメスの会長が「エスメスの経営基盤を支えているのはケリー・バッグ」という発言したこともある。

 ケリー・バッグは、最初「サック・ア・クロア(ベルト付きのバッグ)」という名前のバッグだった。だが、グレース妃が妊娠中、大きいバッグでお腹を隠した写真が『ライフ』誌の表紙になり、問題になるや、エルメスの4代目社長はちゃっかりモナコ王室に許可を申請。バッグの名を「ケリー」に変えてしまった。グレースは結婚前から「サック・ア・クロア」を愛用していたのだが、その頃は、エルメスからそんな話はなかった。
 グレースは、アメリカ・フィデルフィアの富豪の娘として生まれた。だが、その富はレンガ職人だった彼女の父が一代で築いたもの。所詮、成金で、真の上流階級として認められることなく、名士が集う舞踏会に一家が呼ばれることはなかった。グレースはその舞踏会に白い手袋をはめて社交界デビューを果たすのが夢だった。
 その果たせなかった夢を彼女はスクリーンの上で実現していく。グレースはよく上流階級の役を演じた。一見冷たく見える気品あふれる美しさは、役柄にぴったりだった。『火山を隠した雪のようにセクシー』とヒッチコック監督に称えられ、『白雪姫のグレース』とも呼ばれた。『白鳥』という映画では王子に求婚される役を演じ、最後に出演した映画のタイトルはずばり≪上流社会≫だった。


 グレースは「最高級」を意味するものに弱かった。好んだお酒はピンク・シャンパン。ハードな撮影の合間、パリで数時間だけ空いたときに向かったのはエルメス。

 確かにグレースを魅了したエルメスの手袋は素敵だったが、同行した女性に言わせると、値段も『天文学的』。その時、ふたりの持ち合わせたお金すべてを足しても届かない金額だったが、グレースはホテルにお金を取りに帰ってまで、その手袋を手に入れたという。
 レニエ公との結婚も、彼女の精一杯の背伸びだったのかもしれない。プロポーズした大公側には、ハリウッド女優として結婚して、モナコをもう一度観光王国にするという思惑もあったのだが・・・・
 やがて結婚生活と上流社会に滅亡したグレースは、お酒に溺れていった。しかし、大衆やカメラマンの前では最後まで気高い王妃役を演じきった。本当はピンク・シャンパンと同じぐらいハンバーガーが好きだった。相反するものを抱えながら、『白鳥』になりきるためにその内実を隠して生きた「みにくいアヒルの子」グレース。ケリー・バッグは、その生き方の象徴といえるのかもしれない。